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名古屋高等裁判所 昭和44年(ネ)301号 判決 1974年5月30日

控訴人 柴崎拡 外一名

被控訴人 国

訴訟代理人 松崎康夫 外二名

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は、控訴人柴崎拡に対し金一三八万五六五四円、控訴人渡辺浅市に対し金二一万六〇三四円及びそれぞれに対する昭和三一年一一月三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人らのその余の各請求(当審請求拡張部分を含む)をいずれも棄却する。

総訴訟費用はこれを五分しその一を被控訴人の、その余を控訴人らの負担とする。

この判決は控訴人ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事  実 <省略>

理由

一、亡忠<編注:亡柴崎忠を指す。以下同じ>が甲池<編注:愛知県幡豆郡一色町大字生田字竹生新田一番第三池沼二万二三九三平方メートルを指す。以下同じ。ただし、昭和三〇年三月二四日分割により同所一番の三池沼二万一五二七平方メートルとなる。>を、控訴人渡辺が乙池<編注:愛知県幡豆郡一色町大字生田字竹生新田二番の二池沼四万八九二五平方メートルのうち八二〇一平方メートルを指す。以下同じ。ただし、昭和三〇年二月ごろ訴外愛知県により一部買い上げられた結果七八九七平方メートルとなる。>をそれぞれ養魚池として使用し、養魚事業を営んでいたこと、昭和二八年九月二五日襲来した第一三号台風により愛知県幡豆郡一色町大字生田字竹生新田地内の海岸堤防が決潰したこと、被控訴人が右堤防の復旧工事に当たりサンドポンプを使用して土砂の吹き上げ工事をしたこと、右土砂吹き上げ工事により甲、乙両池に量は別として土砂が流入したこと、昭和二九年六月頃少なくとも甲池の一部及び乙池が土砂で埋没し、養魚池として使用できなかつたことは当事者間に争いがない。

二、昭和二九年四月一日当時の竹生新田の写真である<証拠省略>、右竹生新田の南側澪止工事完成後の写真である<証拠省略>、同西側堤防修復工事現場の写真である<証拠省略>(いずれも弁論の全趣旨によつて認められる)、<証拠省略>(誓約書と題する部分については控訴人渡辺と被控訴人間において成立に争いがない)、<証拠省略>並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、甲、乙両池埋没の経緯は次のとおりであることが認められる。

1  竹生新田は、一色町の南端に位置して知多湾に突出し、北東側は内堤防によつて内陸部と画され、他の三方は外(海岸)堤防(以下北西側を西堤防、南西側を南堤防、南東側を東堤防という)によつて海に接する、面積約八〇ヘクタールのほぼ正方形の土地である。その標高は海面以下の低地帯で、南堤防の中央やや南東寄りの二個所に樋門(以下沖より見て右手の樋門を東門、他を西門という、西門は二水門、東門は一水門より成つていた)があり、潮の干満を利用して排水を行つていた。同地内は人家が内堤防に沿つて散在し、一部に畑がみられるが、大部分は塩田、潮遊池、養魚池である。

2  西堤防の内側にこれに沿つて内堤防近くから約三〇〇メートルまでの間に甲池(当時地塘により五個の池に区分されていた。以下その北東端の池を特に北池という)が、それに続いて約一六〇メートルまでの間に乙池がいずれも幅員約七〇メートルの帯状に存在していた。乙池に続いて潮遊池が西、南、東堤防に沿つて延びていた。

3  昭和二八年九月二五日夕刻愛知県地方を襲つた第一三号台風により竹生新田の外堤防東南角が約六〇〇メートルにわたつて完全決潰(護岸石、土砂およびこれに附随したものが流失)したため、海水が侵入し、竹生新田は泥海と化した。西堤防は天端(堤防の上部)まで中等潮位から約三メートルの高さであつたが、北池より二番目の池の海側付近から乙池の海側にかけて約三〇〇メートルにわたり、天端から一・五メートルないし二メートル削り取られ、外法面(海側斜面)の護岸石も裏の土が海水に洗われ、そのため崩れかけた個所があちらこちらにあり、満潮時には海水に洗われて決潰しそうな危険な状態にあつた。

4  右のように西堤防が損壊したのに伴い、甲、乙両池に堤防の土砂等の流入はあつたが、それによつて甲、乙両池が埋没するということはなく、右侵入した海水が引けば養魚池として使用する上で特に障害となることはなかつた。

5  被控訴人はその機関である建設省中部地方建設局(長)のもとに愛知県海岸工事部を特設して、他地区の被災海岸堤防とともに竹生新田の前記外堤防の復旧工事に当たらせた。

6  竹生新田の外堤防復旧工事は昭和二九年初頃から始められ、まず海水の侵入を阻止するため、前記外堤防の東南角の決潰個所にサンドポンプ船により海底から土砂を採取してこれを吹き溜め、応急的に築堤して、同年四月二七日澪止工事をなし遂げ、これにより、海水が竹生新田内に侵入するのは一応堰止められた。

7  続いて、前記西堤防の損壊個所を改良復旧する工事が同年五月二五日頃から始められた。右工事は、高さ、横断面とも従前の堤防(旧堤防)より増大させて新堤防を築造するもので、前記損壊個所の南西端から着手されたが、外法尻のコンクリートブロツクによる根固め工事、外法面のコンクリート張り工事及び内法尻のコンクリートブロツクによる根止め工事を先行させながら、堤体用の土砂をサンドポンプ船を使用して前同様海底の土砂を採取して吹き上げ旧堤防の上部から内側にかけて堆積させるという方法で行われた。ところで、右サンドポンプ船による土砂吹き上げ工事は、砂ポンプの吸入管から水とともに水底の土砂を吸込み、排送管によつてこれを目的の場所に運び、水(余水)を流出させ、土砂を堆積させるものであるが、本件においては旧堤防内法尻傍の甲、乙両池に杭を打てる程度に士砂を吹き溜めたうえ、右法尻から約一〇メートル(甲、乙両池の堤防側縁からでは約六メートル)甲、乙両池に入つた地点に板柵を設け、これと旧堤防天端前縁を設けた板柵との間にさらに土砂を吹き溜めるという方法がとられた。ところが、右板柵は約一メートル間隔に打たれた木杭と木杭との間に板をできるだけ隙間のないように打ちつけ、その上に筵を張つたものであつたから、排送管から排出された泥水中の土砂の大部分はこれに遮られ(板柵設置前は阻止できない)て堆積するが、水(余水)及び微細土(ヘドロ)はこれを透過し流出する。そして、右泥水は、旧堤防の高さに土砂が吹き溜められるまでは、もつぽら堤防内側に排出され、その後は外側及び内側の双方に排出された。

8  そのようにして、同年六月二一日吹き上げ工事は終了し、堆積した土砂は新堤防(甲、乙両池の堤防側縁から二メートル幅の土地は訴外愛知県が買上げ、新堤防敷とした)の堤体に土盛された。しかし、吹き溜められた土砂の一部及び前記木柵を透過して甲、乙両池に流入して沈澱堆積した微細土は甲、乙池に残溜し、水面より出ている個所もあつて、そのままでは養魚池として使用出来ない状態となつていた。北池にはサンドポンプによる土砂の吹き溜めは行なわれなかつたが、泥水の流入は免れず、他より少なかつたとはいえ、微細土の沈澱堆積があり、それに水の流通の関係もあつて、甲池の他の部分と切り離して養魚池として使用できるというものではなかつた。

以上の事実が認められ、<証拠省略>中これに反する部分は前掲他の証拠と対比して信用できず、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

三、 <証拠省略>並びに当審検証結果を綜合すれば、次のことが認められる。

1  東西両樋門も第一三号台風により損壊したが、三水門のうち一門は、その前面に堆積した土砂を除去することにより、不完全ながらその機能を回復し、それと前示澪止が干潮期に行われたため、澪止後竹生新田内の海水は徐々に引き始め、昭和二九年六月には畑、地塘が姿を現わすようになつた。

2  同年七月に入ると、竹生新田のあちらこちらで養魚池の整備を行つて養魚の準備をする者が出始め、同月下句には鰻、鯉等の稚魚が放入されて養魚事業が再開された。

3  甲池は原判決添付別紙(一)記載のとおり、昭和三〇年一月一八日亡忠の単独所有となるまで他の者と共有していたもので、亡忠は他の共有者の同意を得て単独養魚(鰻、鯉、鮒、鰡)池として使用してきた(一時他に賃貸したことがある)。亡忠は第一三号台風による被災後も甲池で養魚事業を営む意思を有し(昭和二八年中は訴外深見元吉に貸していたが一年限りであつた)、昭和二九年八月下旬頃被控訴人に対し前示流入土砂の除去を要求したが、被控訴人は、広範囲に及んだ被災地の復旧工事全体の進捗状況との兼ね合いから直ちにこれに応ずることなく、昭和三〇年八月二四日から同年一〇月八日までの間に、、北池を除く甲池から亡忠との間で取極めた量の土砂を除去した(亡忠から上記申出がなされたこと及び被控訴人が甲池から流入土砂を除去したことは当事者間に争いがない。ただし、上記流入土砂除去の際亡忠の希望により新堤防尻から約三・六メートル幅で存在した流入土砂は除去することなく残された)。しかし、被控訴人による右土砂の除去のみでは、水深が十分でなく、微細土も残留し、直ちに養魚を開始することができず、亡忠は右微細土の除去、池底の掘り下げ工事を行つたうえ、昭和三一年から甲池で養魚を始めた。

4  乙池は原判決添付別紙(二)記載のとおり訴外藤井登ほか数名の共有(なお、上記別紙(二)記載の訴外徳倉広吉の持分は大正年間に訴外徳倉鮮治に移転)であり、控訴人渡辺はこれを賃借し養魚(種類は亡忠と同じ)池として使用してきた。控訴人渡辺も亡忠同様第一三号台風による被災後も乙池で養魚事業を継続する意思を有し、昭和三〇年七月頃既に本訴の提起を亡忠とともに弁護士に相談していた。ところが、乙池の前記共有者の代表格であつた徳倉鮮治は亡忠らと被控訴人との仲に入り話を纏めようとし、話ができなかつたところ、亡忠に拒否されて潰れたので被控訴人に対する立場をなくしたと感じ、乙池の流入土砂は自分で利用したいので自分で除去すると控訴人渡辺を承諾させたうえ、連名で書面<証拠省略>により同月一四日被控訴人に対しその旨の申出をするに至つた。しかし徳倉鮮治は控訴人渡辺の請求にも拘らず、その後永く乙池の流入土砂を除去することなく放置している。

以上のとおり認められ、<証拠省略>中これに反する供述は前掲他の証拠と対比して信用できず、<証拠省略>中、亡忠が甲池で養魚を再開したのは昭和三二年四月である旨の供述は他の供述部分に照らして言い誤りと認められ、また<証拠省略>中、度胸のいい者は昭和二九年に竹生新田内で養魚を再開したが、自分は度胸が悪い旨の供述はその前後を通じれば控訴人渡辺に養魚を行う意思がなかつた趣旨のものではないと解すべきであり、いずれも右認定の妨げとならず、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

四、以上の事実関係に徴すれば、亡忠が甲池で昭和二九年七月下旬頃から昭和三〇年一〇月初旬までの間、控訴人渡辺が乙池で昭和二九年七月下旬頃から前示流入土砂除去不要との申出をした日からその除去に通常必要な期間(前示甲池の流入土砂除去に要した日数と甲池、乙池の面積比との対比からして半月と推認できる)経過までの間それぞれ養魚事業を行えなかつたのはいずれも被控訴人の施行した前示土砂吹き上げ工事による土砂吹き溜めないし流入がその原因をなすと認めるのを相当とする。(右除去期間経過後の事業実施不能と被控訴人の施工した工事との間に相当因果関係はない)。

五、 そこで、これにつき被控訴人に不法行為責任があるかどうかを検討する。

1  被控訴人は、亡忠ら<編注:亡忠及び控訴人渡辺を指す。以下同じ>が被控訴人により甲、乙両池が使用されていることを知りながら、被控訴人に対し抗議又は使用料の請求を行なわなかつたので、亡忠らは右使用につき黙示の承諾を与えた旨、また亡忠らはそれぞれ右使用につき昭和三〇年四月被控訴人に対し損害補償請求書を提出して、昭和二九年、同三〇年の養魚不能による喪失利益の補償を請求して、暗黙の承諾を与えた旨主張する。

しかしながら、亡忠らが甲池又は乙池の使用につき被控訴人に対し、抗議又は使用料請求をしなかつたというだけで黙示の承諾を与えたと認めることはできない。のみならず、<証拠省略>によれば、亡忠らは被控訴人による甲、乙両池の使用については、使用されていることを知ると直ちに同道して抗議にいき工事関係者に対し亡忠からその旨の申入れをしており、ただ堤防工事の公共性を理由に一蹴されたたためやむなく引き下がつてその後も抗議することをしないでいたに過ぎないことが認められるのである。

また、<証拠省略>によれば、亡忠らは、被控訴人主張のとおり被控訴人に対しその主張の趣旨の書面をそれぞれ提出したことが認められ右各書面記載の「補償」という文言が一般には適法行為によつて生じた損失を填補することを意味するものとしても、そのことから、被控訴人に土地使用を許したことを前提としたものであるとし、或いは被控訴人が右請求を容れると否とに拘らず、直ちに亡忠らにおいて被控訴人の土地無断使用を遡つて容認する趣旨で右書面を提出したものと速断すべきではない。かえつて、右各書面を素直に読めば、その根拠を明らかにしてはいないけれども亡忠らは甲、乙両池が使用できなかつたことによる喪失利益の回復を請求しているものであり、被控訴人に使用権あることを前提として、かかる場合に通常求め得る損失補償を請求する趣旨のものではないことが看取できるのである。

したがつて、被控訴人の右主張はいずれも理由がない。

2  次に被控訴人は前示西堤防復旧工事による甲、乙両池の使用は正当行為ないし事務管理行為として違法性がない旨主張する。

(一)  <証拠省略>と前記二において認定した事実並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、次のことが認められる。

(1)  前示のとおり西堤防は崩壊の危険にさらされておつてその復旧は焦眉の急を要するものであり、また、第一三号台風による海岸堤防の被災は愛知県下のみでなく他県にも及び広範囲のものであつて、それらの復旧工事も次期台風期までと完成が急がれていた。

(2)  前示西堤防堤体用土砂を堆積するに当たり、土砂吹き溜めの場所を堤防外(海)側に置き、又はサンドポンプの排送管から排出される余水を、土砂吹き溜めに使用した甲、乙両池の部分以外の部分に流入しないような措置を講ずることは、技術的には不可能ではなかつたが、そのためには工期・工費を無視しなければならない。

ところが、本件では類似した復旧工事が各所に競合して施工され、当然に資材、労務が逼迫し、時間的にも制約があつた。かかる状況下においては、前示のように堤防内側に木柵を設け、その間にサンドポンプ船を使用して海底の土砂を吹き上げるという工法が安全・確実な工法であつた。

右のとおり認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

しかし、そのようにして、前示西堤防の復旧工事が災害の復旧・防止という正当な目的をもつ工事であり、かつその工法において相当なものであるというのみでは、被控訴人が甲、乙両池について亡忠又は控訴人渡辺の有する使用権を侵害したことを正当化する理由となるものではない。そのような場合においても、事前に亡忠らの承諾を得るなり、土地収用法による手続を経るなり(西堤防が愛知県が設置する海岸堤防であることは弁論の全趣旨により認められるところであるから、西堤防は土地収用法第三条第五号に規定する海岸堤防に該当する)して、適法に甲、乙両池を使用すべきはいうまでもない。

被控訴人が甲、乙両池の使用につき事前に亡忠らの承諾を得或いは同法による手続を経たことについての主張立証はない。

ところが、被控訴人は、この点について同法に基づく正式の手続は複雑かつ長期間を要するので、前示澪止工事完成までには該手続をとり得るものではなく、また、それ故土砂吹上工事に先立ち一色町を代表する町長に通知し、工事施工の承諾を得た旨主張する。しかし、被控訴人主張の一色町長に対する通知は土地収用法によるものであるというのではなく、町長の承諾はもとより控訴人らの承諾ではない。また本件で問題とさるべきことは西堤防の復旧工事についてであるところ、前示のとおりそれが開始されたのは第一三号台風により被災した日から約八か月経過後であるから、その間に右手続をとる時間的余裕がなかつたとはたやすく認め難い(<証拠省略>によれば、事業認定申請から裁決まで一五四日で終了している事例のあることが認められる)。たとえ、右八か月の期間内に右手続の完了に至ることが実際上困難であるとしても、同法は本件のように緊急に施行する必要があり、明渡裁決が遅延することによりその施行が遅延し、その結果、災害の防止が困難となるような場合は、簡易な手続により使用の裁決申請後直ちに使用できることを認め(第一二三条第一項第二項)、さらに非常災害に際し公共の安全を保持するため土地を使用し得る事業を緊急に施行する必要のある場合で、事業者が国又は都道府県であるときは、事業の種類・使用する土地の区域・使用の方法及び期間を市町村長に通知するだけで使用できることも認めているのである(第一二二条)。

被控訴人は、この場合使用期間は六か月を超えることができないとされ、しかも更新が許されないと解されているところ、本件の場合六か月の期間では危害を防止するだけの復旧工事をすることなど到底不可能な状態にあつた旨の主張もするが、本件において堤防復旧工事が急がれたのは前示のように次期即ち昭和二九年の台風期までに少なくとも一応の完成をみなければならないというところにあつたものであるが、西堤防の復旧工事に着手されたのは同年五月下旬であるから、六か月内には完了しなければならないものであつたのであり、<証拠省略>によれば、現実にも同年一〇月一五日には第一期工事としての築堤は竣工したことが認められるのであるから、被控訴人の右主張は全くの弁疏というほかはない。

なお、被控訴人は、西堤防を含め第一三号台風により被災した愛知県下の海岸堤防の復旧工事について被控訴人は訴外愛知県から私法上の委任を受けたものであり、同県が土地収用法上の起業者に当たると主張するが、右起業者が被控訴人でなく訴外愛知県であれば同県をして同法上の手続をとらしめるべきであつたというまでのことで、叙上のように被控訴人において甲、乙両池を適法に使用しうる方途が別に存したことを左右するものではない。(したがつて、被控訴人の土地収用法上の起業者は被控訴人ではなく愛知県であるとする主張が自白の撤回に当たるとする控訴人らの異議については、ここでは判断しない)

(二)  前示西堤防復旧工事により亡忠らにおいて使用権を有する甲、乙両池の海水による侵害が除去防止されることになるとしても、前示のように西堤防は愛知県の設置した海岸堤防であつて、その管理は地方自治法第二条第三項第二号の規定にもあるとおり同県の事務に属し、前示西堤防復旧工事も同県の事務の執行としてなされたものであるから、これが亡忠らの事務の管理である旨の被控訴人の主張が採用するものに値しないものであることは明らかである。

(三)  その他被控訴人による前示甲、乙両池の使用ないし土砂流入を適法ならしめる事情のあつたことは本件証拠上窺えない。

六、ところで、前記二で認定した事実関係からすれば、被控訴人が正当な権原なく甲、乙両池を使用し、土砂を流入させたことについて故意があつたものと認めるのを相当とするから、それにより亡忠らが蒙つた損害として前示養魚事業不能による逸失利益相当額を賠償する責任があるといわなければならない。

1  被控訴人は、昭和二九年において竹生新田地内で養魚ができると予見することは不可能であつた旨主張するが、前示のように澪止工事が完成すれば同地内の海水が引き養魚が可能となることが予見不可能なこととは解されない。また同地内の堤防が未完成な間は台風により養魚が流失する危険が大であることは当然のこととしても、その間に台風が来襲するとは限らないのであるから、右危険にも拘らず同地内で養魚を行なうものの出ることは十分予想可能な出来事といわなければならない。したがつて、被控訴人による甲、乙両池の使用、土砂流入と養魚不能による逸失利益相当の損害とが相当因果関係にあることは否定できない。

2  また被控訴人は、本訴各請求は不当な利益追求のためにするもので権利濫用に当たる旨主張する。しかし、控訴人らが本件において逸失利益を損害として賠償を求めるのは法律上本来あるべき状態の回復を求めるにすぎないからそのこと自体なんら不当と目すべき限りではなく控訴人らが損害賠償として請求する額が過大であつてもそのことのみで権利濫用ときめつけうるものでもなければ、また、右損害発生の原因となつた被控訴人の行為が災害復旧工事という公共性、緊急性のある行為であるからといつて、その違法を理由とする損害賠償請求が逆に違法なものとして許容されなくなるものでもないことは多言を要しないところというべきである。

3  被控訴人はさらに、控訴人渡辺は前示のように徳倉鮮治と連名で書面<証拠省略>により乙池の流入土砂を同人らで除去する旨申出て本件損害賠償請求権を放棄した旨主張する。しかし、前掲<証拠省略>の文言は土砂除去を同人らにおいて行うことを誓約するという趣旨を出でないものであり、控訴人渡辺が本件損害賠償請求権放棄の意思で右申出をなしたと看取できるものは何も存しない。他にこれを認めるに足りる証拠はない。

七、そこで、以下亡忠らの損害額の検討に入る。

1  <証拠省略>と弁論の全趣旨によれば、昭和三〇年三月の分割後の甲池(控訴人柴崎は右分割後の甲池における得べかりし利益の喪失による損害賠償を求めている)の実測面積は二万〇八二九平方メートル(六三一二坪)であることが認められ、これに反する証拠はない。もつとも前示のように、被控訴人による流入土砂の除去の際、亡忠の希望により新堤防尻から約三・六メートル幅の土砂を取り残しているけれども、このことは損害額算定の基礎に右実測面積を採用することの妨げとなるものではない。けだし、本件で亡忠に与えられるべき損害賠償請求権は甲池への土砂吹き溜め、流入により亡忠が昭和二九年七月下旬に再開できた養魚事業が、被控訴人において右流入土砂を除去した昭和三〇年一〇月上旬まで不能であつたことに基づくものであるからである。

2  控訴人渡辺は愛知県により買収せられ縮少された乙池における得べかりし利益喪失による損害賠償を求めておるところ、その地積が二三八九坪であることは争いがない。

3  <証拠省略>を綜合すれば、次のとおり認められる。

(1)  養鰻には、はるめそ(木綿針程度の幼魚)を養中(三七五グラムで二〇ないし二五匹のものが標準的)に育てるものと、養中又は同程度の天然の稚魚を養成若しくは養太(食用に供するに適するもので一匹一四八グラム位のものが標準的)に育てるものとがあるが、甲、乙両池で行われていたのは養太の養殖の方である。

(2)  養太の養殖は二年にわたるサイクルを有する。四月頃から一一月頃までが鰻の餌つけの期間であるが、前年から繰越した未成育の鰻がいるところへ、四月から七月一杯位までの間に稚魚を追加放入する。八月頃位になると鰻の食欲が減退し、成育が鈍る。一二月頃には池底にもぐり越冬する。水揚げは餌つけの期間随時行われるが、七月の土用がピークとなる。水揚げされずに翌年に繰越されたものは翌年中には全部水揚される。右前年から繰越した鰻(繰越原料)、その年に入れる鰻(追加原料)及び水揚高(いずれも目方)との間には

繰越原料1+追加原料0.5+増加3.5=水揚高4+繰越原料1

なる関係が成立する。

(3)  鯉は大体四月に池に放入し、その年の九月から一二月までの間に水揚げする。鯔(いな)は四月下旬から五月中旬にかけて放入し、その年の九月から一一月までの間に水揚げする。鮒は養魚池で用水の汲み上げ、浄化、溶存酸素量増大等のため使用されるパチカルポンプを通つて池に流入してきたものを一二月から翌年の一月にかけて採取する。右浮魚の餌はいずれも鰻に与えたものの余り、鰻の排泄物或は池中の天然のもの等で十分で、特に与えない。

(4)  竹生新田の昭和二九年における養鰻は前示のように七月下旬から再開されたが、前年の分は全部流失したため繰越分はなく、また外堤防が未完成で再び流失する危険があるため、前示のように養魚業者全部が養魚を再開したわけではなく、再開した者も放入する量を養魚池に応じた適正量の二分の一程度に控えるといつた具合でしかも、放入の時期が遅いうえ、水質(鰻の成育は水質に左右されるところが大きい)が良好でなく、生長率(水揚高と翌年繰越分の合計と稚魚との重量比)は一・六(前記公式では三・三)程度に落ち、大部分は翌年に繰越され水揚高はその一〇パーセント余位であつた。浮魚のうち鯔の放入は時期を逸し、鯉、鮒の養魚は池中の塩分が濃く不成功に終つた。

(5)  昭和三〇年も水質の関係上鰻の成長率はやはり平年より落ち二・九程度に止まつた。

(6)  昭和三一年は平年どおり行われた。

以上のとおり認められ、<証拠省略>中これに反する部分は前掲他の証拠と対比して信用できず、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

4  ところで、前示のように甲池は昭和三〇年一〇月上旬に被控訴人による流入土砂の除去作業が完了したものであり、乙池の流入土砂は徳倉鮮治において誓約書提出後直ちにこれが除去作業に取り掛れば同年七月下旬頃終了するはずであつたのであるが、養魚の前示実態からすれば、右各時点で切断してそれまでの養魚事業の成果を測定できるものではなく、前示サイクルの完結をまたなければならないこと明らかである。そして、亡忠の場合は、一〇月上旬にたとえ甲池が直ちに使用できるものとなつたとしても前認定の事実によつてみれば養魚を再開するには既に時期を失し、翌春を待たなければならなかつたこと明らかであるから、昭和三〇年に放入した鰻の稚魚を養太として出荷できるまでの逸失利益も本件において受け得べき損害賠償額となる。これに対し、控訴人渡辺の場合は、前示のとおり昭和三〇年七月下旬に乙池の使用が可能となり養魚事業が再開できたといわねばならないので、昭和三〇年に放入した鰻の稚魚を養太として出荷して得べき利益がそのまま受け得べき損害賠償額となるものではなく、右利益から昭和三〇年七月下旬に養魚事業を再開することにより得べき利益を控除したものが、本件において受け得べき損害賠償額となる。

5  以上に基づき、亡忠らの損害額を計算するに、別紙第二記載のとおり(円および貫未満は四捨五入)算出される。ただし、以上の事実関係と<証拠省略>及び弁論の全趣旨を綜合して次のとおり右算出の条件が確定される。

(1)  甲、乙両池における稚魚の適正量は坪当たり〇・〇六貫。

(2)  稚魚の価格は昭和二九年ないし同三一年を通じ一貫目金一五〇〇円(ただし天然稚魚)。

(3)  昭和二九年(控訴人渡辺の昭和三〇年新規分についても同様)は成育度は低くても養殖に適正量があるから前示公式による年度繰越原料相当分を繰越す。

(4)  養太の価格は昭和二九年ないし同三一年を通じ一貫目金一六〇〇円。

(5)  鰻の飼料は鰯(主として鰯が用いられる)であるが、鰻に与えた残り(頭)は千燥させて、家畜の飼料として売却する。右家畜用飼料は四貫目入りの箱一箱につき〇・二貫出て、一貫目金一五〇円の価格である。

(6)  飼料の空箱代は一箱金一〇円。

(7)  飼料は右のように一箱四貫目入りで金四五〇円、必要量は鰻の増肉量一に対し飼料六の割合。

(8)  飼料配給費及び賦課金は飼料四〇六三箱に対し金五万四九〇〇円(一箱につき一三・五円)、養魚育成管理人夫賃は金一五万円(一箱につき三六・九円)。

(9)  器具損耗・修理代は鰻稚魚六七八貫に対し金九一四〇円(貫当たり一三・五円、ただし昭和二九年は七月下旬放入のため半額とし、乙池の昭和三〇年新規分も同率とする)。

(10)  公租公課は昭和二九年ないし同三一年を通じ甲池につき金二万七〇〇〇円、乙池につき金一万円(ただし昭和三一年は繰越分と新規放入分とに按分する)。

(11)  乙池の賃借料は一年金五〇〇〇円(ただし昭和一三年は前同様按分する)。

(12)  電力料金は甲池につき年間金六万円、乙池につき金二円万(ただし昭和二九年と昭和三〇年新規分は半額とし、昭和三一年は甲、乙両池につきそれぞれ前同様按分する)。

(13)  漁撈人夫賃は、全漁獲量三五〇三貫又は三九五三貫につき金三万円とみその中間貫当たり八・一円を採る。原審鑑定人中川清一の鑑定の結果中には乙池の関係では漁獲量一二八六貫又は一四四四貫につき金一万円とする部分があり前同様中間を採るときは貫当たり七・四円となるのであるが区別すべき特段の事情がないから右の単価をもつて相当とすべきである。

(14)  鯉の稚魚は六七七四坪につき二二六〇匹(坪当たり〇・三三匹)、鰡の稚魚は六七八〇匹(坪当たり一匹)が放入適正量。右放入により、鯉は四五二貫(稚魚一匹につき換算すると〇・二貫)鰡は四五〇貫(同様の換算をすると〇・〇六六貫)水揚げできる。鮒は三三九貫(一坪につき〇・〇五貫)。

(15)  鯉の稚魚の価格は昭和二九年ないし同三〇年と通じて一匹金六円、鰡のそれは一匹金五円。

(16)  鯉の成魚の価格は右三年間を通じて一貫目金六〇〇円、鰡のそれは一貫目金五〇〇円(ただし鰡の養殖は鰻の成育に悪影響を与え、その程度は鰡の水揚金額の半額とされるので、総収入の計算上はその半額として調整する。)、鮒のそれは一貫目金二〇〇円。

なお、<証拠省略>中には、鰡の稚魚は控訴人柴崎において海から採取して放入するものである旨の供述があるが、<証拠省略>、原審中川清一の鑑定の結果と対比するときにわかに信用し難い。他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

八、被控訴人は、亡忠らにおいて前示西堤防復旧工事の中止又は施行方法の変更を被控訴人に対し要求すべきであつたのにこれをしなかつたから、亡忠らにも過失がある旨主張するが、その当たらないこと前述したところよりして明らかというべきである。

九、更に被控訴人は、甲池に流入した土砂には第一三号台風によるものが相当あつたのであり、これが除去に要した費用は亡忠において負担すべきところ、被控訴人が出費して流入土砂全部を除去したのであるが、右台風により流入した部分の除去費用は控訴人柴崎の損害額から控除されるべきであると主張する。その趣旨明確ではないが、純益の算出に当たり右部分の除去費用が費用として控除されるべきであるとの主張ないし、事務管理費用による相殺の主張と解せられるので検討するに、前示のように損壊した西堤防の土砂が一部甲池に流入はしたが、それは容易に養魚を再開できる程度のものであり、また被控訴人による流入土砂の除去のみでは、甲池の養魚池としての使用はできなかつたのであつて、その貢献度を算定できる資料もないから、被控訴人の右主張は採用できない。

一〇、亡忠が昭和三五年六月一五日死亡し、控訴人柴崎が相続により亡忠の権利を承継したことは被控訴人において明らかに争わないから自白したものとみなす。

一一、以上の次第で、被控訴人は、控訴人柴崎に対し損害金一三八万五六五四円、控訴人渡辺に対し損害金二一万六〇三四円及びそれぞれに対する本訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和三一年一一月三日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

控訴人らの請求は右の限度で理由があるので、正当として認容し、その余は当審での拡張部分も含め理由がないから失当として棄却すべきである。

一二、よつて、叙上と一部趣旨を異にする原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条、第九三条を、仮執行宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して(仮執行免脱宣言は相当でないのでこれを付さない)、主文のとおり判決する。

(裁判官 綿引末男 山内茂克 豊島利夫)

原判決添付別紙(一)、(二)及び別紙<省略>

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